過去

ブログというのは自分を表現するツールなのに、今まで自分自身のことについてあまり書かずにきました。
自分の過去をさらけ出すことに気恥ずかしさや怖さがあったのももちろんですが、僕の過去を知りたいなんて物好きな人なんてそういないだろうから書いても意味ないだろうって思う気持ちが強くて。でも、急に自分自身のために書きとめておきたくなったので書くことにします。美化や嘘は一切ないので少しエグい感じになってしまうかもしれませんが、興味がある物好きな人はぜひ読んでみてくださいね(^ω^)
興味関心のない人は回れ右でお願いします(この言い方なんかひねくれたバンギャっぽくて嫌だw)。


僕は今でこそ自分に自信を持っているように見られることが多いですが、昔はコンプレックスの塊でした。5歳まで父親の仕事の都合で海外にいたこともあり、帰国後すぐに日本の小学校に入っても色々となじめないことが多くて。相当な泣き虫で、クラスの男子にいじめられて女子になぐさめられていたり、掃除の時間に駄々をこねて床に大の字に寝そべって泣き始めたり。先生からも呆れられて、面談のときは結構あきらめられたような口調だったと母親は言っていました。今と違って背は低くて太っていましたし、自分って生きてる価値あるのかなぁって、幼心に漠然と思ったこともありました。


小学校高学年になるにつれて、わりと勉強も運動もできるようになってきて、以前よりは「見れた」存在になったけれども、相変わらず自分に自信はないままでした。その後、親の意向から中高一貫校入学を目指して中学受験をしました。


中学に入学すると、私立学校で僕の過去を知らない人たちだらけだったからか、僕の学校内でのポジションは一気に変わりました。クラスの中心にいるようになったし、自分で言うのもいやですが女子からは結構もてていました。でも、自分の中ではそういう「目立つ」自分は想像したこともなくて、だから戸惑う自分と天狗になってしまう自分がいました。折しも携帯電話なんてツールがちょうど学生にも浸透し始めた頃(J-PHONEのカラーケータイとか、そういう時代です)で、当時の僕はとにかく今までふさぎ込んでため込んでいた感情を全部外に吐き出したかったし、主張したかった。だからメールはかなり多用しました。今思うと恥ずかしすぎるメールをたくさん女子に送っていた気がします。女子のほうからアドレスを聞いてくるものだから、僕のほうも調子に乗ってしまって何を言っても許されると思いすぎたんですね。
当時付き合っていた彼女に限らず、複数の女の子と大量にメールをしたり平気でしていました。今思えば中学生の恋愛なんて友達の延長、お遊びみたいなものですが、この時期の女の子は大人ぶって恋愛をしたがるから、僕の態度はなにかと非難の対象になりました。


で、経済界で成り上がりが一気に嫌われていくように、僕の評価もずるずると落ちていきました。
入学したての頃はキャーキャー言われていた自分が、わずか1年もしないうちに廊下ですれ違った女の子グループに舌打ちされるまでになってしまったのは、今考えるとなんか可笑しくもあるのですが、当時は怖かったし真剣に悩みました。なにせ中高一貫、このあと5年近くこの失墜した評価で青春時代を送るのかと思うと怖くて怖くて。


そして僕はストレスから解放されたい気持ちで女装に走りました。
幸い目が大きくて女性的な顔立ちをしていましたから、化粧っ気がない中学生の頃は女装して外出してもほぼ100%疑われることなく、そんなだから余計女装趣味に拍車がかかり、女の子の格好で電気屋をうろうろしたり、下着売り場で女物の下着を物色したりとかも平気でするようになってしまいました。
でも、このままじゃいけないっていうのは自分でもわかっていて。当時なかよくしていたグループの男友達に相談したんです。そうしたら、彼は面白半分で吹聴してまわり、気づいたら僕は学年中の男子から「オカマちゃん」と罵られるようになりました。


そこで僕は思ったんです。友達だなんて思っていても、それは見せかけだけ。一緒にお弁当を食べていたって、日曜日に一緒に遊びに行ったって、僕のこと真剣に考えてくれているわけなんかなくて、自分が多数派・主流派にいれさえすれば他人がどうなっても構わないとみんな思っているって。


そこから僕の人間不信は進行していき、女装趣味をやめることもできず、学校が嫌になりプチ登校拒否をしたこともありました。
「今日は学校に行きたくない」と風邪のふりをして学校を休んだとき、クラスの中心の男子が「あんなやつずっと休んでればいいのに」と笑いながら言っていたという話をあとで人から聞きました。その男とは入学当時は毎日一緒にお昼を食べていた仲でした。


そんな僕を変えたのが、ギターとの出会いです。中学三年生のとき、無趣味で毎日怠惰な生活を送っていた僕を心配し、親が僕にエレキギターを買い与えてくれたのです。当時狂ったようにXとかLUNA SEAとか聴いていましたから、嬉しくて毎日ギターばかり弾いていました。
高校1年のとき、初めてライブハウスというものに出入りするようになり、そこから僕は学校の外でバンドを組んでオリジナル曲でライブ活動をするようになりました。高校時代からライブハウスに入り浸っているやつというのは、学校からあぶれてしまった人が多くて、そういう意味で僕と境遇が似ていて仲良くできると確信して一時期は舞い上がっていたんですが、結局バンド内でも大喧嘩して、それから他のバンドの人たちとの交流も急に馴れ合いみたいに思えてきてしまったんです。

  
僕はそこで「うわべだけのつきあいかた」を学びました。僕は自分のすべてをわかってもらいたい一心から、少しでも心を許した相手にはなんでもぶつけてしまいたがる悪いくせがあるのですが、僕のすべてを受け止めてくれる人なんてそういないし、お互いが失望する結果になるくらいなら上っ面だけのつきあいをする方がましだと思うようになったんですね。


狂ったようにギターばかり弾いていた自分は、高校内でまた注目を浴びるようになりました。以前僕のことを徹底的に罵ったやつらがまた僕のところに近づいてきたりもしました。でも、僕はもう彼らに心を許すつもりもなかったし、友達なんて要らないと思っていました。


大学入学以降の話は、また気が向いたときにでも……


僕はいまだに人間不信ですが、この人になら心を許せるかなという人が大学に入って少しできました。
でも、僕は心の中では寂しがりで甘えたで認められたがりですから、心を許した人に自分の感情をぶつけすぎて取り返しのつかないことになってしまうのではないか、不安で仕方ないですし、実際取り返しのつかないことにしてしまったこともあります。


昨日マリみて二期でロサギガンティアこと佐藤聖のエピソードを色々見たとき、自分としか思えない部分がたくさんあってちょっとびっくりしてしまいました。だから僕には彼女のあっけらかんとした態度の意味やその裏側がよくわかる。人に自分をぶつけていくことへの恐れも、でもそれでも心を許した人を(人間愛的に)愛していたいという欲求も。


もとをたどれば、自分という存在をコンプレックスの対象として認識していたことに原因があるのではないかな、と思っています。